集団登校考

 ツイッターで集団登校について否定的なつぶやきをしている方がいた。急に十数年前のことを思い出したのでまとめてみます。

 

 私のように昭和三〇年代生まれの者にとって集団登校はあたりまえでした。幼児の頃から小学生が集団で登校していくのを見ていたわけです。小学校に入学するということは、その集団に仲間入りをすることでもありました。

 

 入学式も済んで次の日、どきどきで集合場所へ行って大きな子達にむかえ入れてもらう訳です。もう新一年生にとって高学年のお兄ちゃん達ってとんでもなく大きく見えますから一生懸命いうことをききますよ。

 

 2・3年生にとってはちょっぴりお兄さんお姉さんになった気分、高学年の子は自分たちがリーダーであるという自覚が出てきます。毎年それを繰り返していくわけです。自分より上の学年をお手本にして少々頼りなかった子も学年に応じた行動をとるようになってきます。

 

 子供の世界って、シビアに縦社会ですから小さい子は大きい子のいうことをきく、大きい子は小さい子に手本を見せたり世話をやくことが当たり前でした。

 

 結婚して神戸に来てみると小学生が自由登校をしていました。そのときは今は集団登校をしないのね、とあまり気にならなかったのですが、十数年前に神戸で事件があって、集団登校をすることになりました。さあ大変。なぜかというと、先ほどの子供の縦社会が育っていないのですよ。

 

 高学年は自分たちが小さい子達をまとめる意志というか自覚ががない。ていうかどうやってリーダーシップをとっていいか判らないんでしょうね。低学年も高学年の子について行く意志がない。それどころか離れたところに住んでいる仲良しと一緒に行きたいとだだこねる。

 

 子供12人の一つの班に親が3人付いてもまとまった行動が取れないのには驚きました。一人一人はいい子なんですけど集団の中で自分のとるべき行動がわからないんですね。学校の行事で異学年が一緒に行動することがありますが、あれは大人のやらせですから社会性はそだっていませんでした。

 

 自分が子供の頃毎日繰り返していた集団登校って、時間を守ったり、自分たちで危険回避をしたり、上の子の良いとこ悪いとこいろいろ見習ったり、いたずらもどこまでならば許されるとか、いろいろ社会勉強していたんだなと思います。

 

 班長の任務は、班のメンバー全員を安全に始業までに校門まで引率すること。大人などいませんから班長を中心に高学年に任されるわけです。かなり微妙な判断をしなければならないことがあります。

 

 まず集合場所でいつまで待つか。遅れている子が低学年ならみんなで呼びに行って家の前で辛抱強く待ちます。 高学年なら走って追いかけてこいと言って班は出発します。低学年のペースに会わせ、ちょろちょろする中学年に目を配り、足の速い連中をなだめ、隊列が大きく崩れないようにします。

 

 途中で誰かが忘れ物に気づいたとき。まだ家に近ければ走って取りにやらせます。班はその間ゆっくり進みます。忘れ物をした子が低学年で、その子が自分で取りに戻ったのでは遅刻すると判断した場合、班の中で1番足の速い子がその子の家まで取りに行きます。場合によっては取りに戻る子のランドセルを力のある子が持っておく、ということもありました。

 

 もう学校近くまで来ているのに、かけっこの早い高学生が走って取りに戻り、校門で追いついたときはみんなの尊敬独り占めでしたね。また途中で誰かが具合い悪くなったときも、帰らせるか学校まで行って保健室へ連れて行くか判断を迫られます。

 

 うちの班は、校区の中で1番遠かったうえに、途中信号のない交差点を3カ所渡り、歩道のない道もあったし、いや~班長は結構大変でした。でも当時は住宅地でも野良犬がいましたし、低学年にとっては集団でいることは心強かったのです。

 

 メンバー一人一人はクラスの中では目立たない子であっても、縦割りの10人ほどの中では、足の速い子、力持ち、低学年に優しい子、班長をさりげなく補佐する子、おっちょこちょい、いろいろ特徴があって楽しかったな。道草の仕方なんてのも伝授されますし。

 

 こんなに楽しく社会性を学べる集団登校。だんだん無くなりつつあるのはいかがなものか。まあ今はね、ここまで子供の主体性に任せる親が少ないのかな。なんで任せないんでしょう。何でも責任責任って言い過ぎですよね。あ、二十歳前後で鬱になる人って多いですが、もしかして集団登校の経験がない?